ありがとシマちゃん

 

2022年10月8日(土)くもり、晴れ
  
 
9月18日
巨大な台風が来襲する前日。
友人と姉の手を借りて、ぶどう畑の
ポリフィルムの屋根を外した。
 
強風に荒らされたぶどう畑に
寒風が吹いた次の日、
シマちゃんは風邪をひいたのか、
不調になった。
 

0930sketch1_480

病院で点滴後は回復したかに見えるが、
やはり食欲は無い。
成分を換えながらの3回の点滴の後、
自宅で少し苦しそうにして
息たえた。
 
懐っこく、いつでも上機嫌なシマを
可愛がり、心配してくださる方も
たくさんだったので、
アシカの描きためたスケッチ15年分を
カフェの隅に飾った。
 
 
背の毛並みを覚えているワタシの手。
夕食後のブラッシングとマッサージも
トドの役割でした。
2019_0521shima300
 
ぶどう畑には必ずついて来ました。
2019_0521shim300
案内するように先導して。
 
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トドやアシカが畑で作業している間は
屋根の上に居るか、日差しが強い夏は
ぶどうの影か人の影で目を閉じて。
 
若く元気な頃。
Budoubatakenoshima300
この たわんだ 枝も好きでよく乗ってました。
帰る時には「帰るよ」っと声をかけないと
後でニァニァ(置いて帰った)と文句を
言いました。
 
 
スケッチはアジアの紙の上にも
0930sketch33_300
  
水彩でも
2019_0529_300
 
アシカにとっても
最も楽しい時間だったようです。
0930sketch2_480
下の銅版画は友人Oさんの作品。
 
来るたびに、シマとぶどう畑を散歩するのが
楽しみだったブンさんは表情豊かな数枚の写真と
花を飾ってくださいました。
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シマが調子を崩してからは
ずっと添い寝をしてくれたハク。
1001haku300
昨秋、ハクは得意げに木に登ったものの
降りられなくて、トドが梯子で救助。
次の日、シマは
高い木に猛スピードで駆け登り、
落下するよりも早く駆け降りる
模範演技。
以来、どんな木でも降りられるように
なったハク。
いい先生だったねシマちゃんは。
 
一緒に過ごしてくれた15年、
楽しかった。ありがとう。
 
 
・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・
Ashica_20220227232401
「アシカ カフェ」の予定
 
・10月14日(金)11:00-16:30
・10月15日 (土)11:00-16:30
*土曜日のお昼前後はできるだけ
 ご予約をお願いしま〜す。
 0866-21-2170(源内)
 

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母らしい

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2017年6月30日(金)くもり、晴れ

時間があるとしゃがんで草取りをよくしてましたが、
やはり机に向かって新聞を読んでいる姿が一番
トド母らしいです。
0626haha
昼ご飯の後、タタミの上に寝そべって・・・
小さいから新聞の上に乗っかって読んでいるうちに
いつの間にか眠ってしまう姿も母らしい。

手紙もたくさん書きました。
五人兄妹で下の弟二人を姉さんと教育係として
それぞれ担当していました。
長じても自分が担当していた末弟をずっと気にして、
病気の時には毎日ハガキを出していました。
0904haha1
逆も真なりで、今回の母の入院を支え続けたのも
この叔父で、ハガキや郷土誌などのレポートを
たくさんのいただきました。
0904haha3_2
仕事で受けたパンフレットや高校生が地元の
古老を訪ねインタビューする「聞き書き」本も
刷り上がるのをワクワク顏で待っていてくれました。

挿絵をアシカ、ブックデザインをトドがお手伝いした
友人ベン・モリミツの本「鬼の涙」は繰り返し読んで
続きの出版を心待ちにしていました。
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ワシラはこんなぶどうを作っているとお客さんに
お知らせしてる「トド&アシカ新聞」(年1回発行)を
最初に読むのも母でした。
0904haha5
最後の編集後記に母の写真を小さく載せたら、
お客さまに喜ばれて、「まずそこから読むんだ」
「元気かと気になってね」とみなさんに楽しんで
もらいました。

新聞やブログで多くのみなさんに母を知ってもらい
応援していただきました。感謝です。

しばらくぶどう畑に行ってなかったので
「わや」になりつつあります。
0630budo
袋掛けも途中でやめたまま。
さぁ、畑仕事も頑張らねば。

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いないけどいる

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2017年6月29日(木)くもり、晴れ

さてこれは2年前の写真、満開の桜の下です。
家のすぐ下の畑の端に母が植えたのは45年ほど前らしい。
今では大木となり、このあたりの住宅地では最も大きな
桜となりました。
Vv703
「満開の桜の下で写真を撮って欲しい」と言われたのは
10年ほど前。以来撮り続けています。

桜の花はご近所の方も楽しみにしておられます。
Todokawa70坂道を上る途中足を止め、
ホッと見上げる老婦人。
坂を下るスクーターを止めて
スマホを構える人。
学校帰りの中学生や高校生も
押し上げる自転車にもたれ三人、四人と
通学友だちと桜の下で雑談。
ピカピカの一年生とピカピカのお母さんが記念写真。
川向こうの道をやって来る友人はスバルを停めて
「あのサクラがトドとアシカの家なんだ」と話します。
天気のいい日曜日、夕食前のゆったりした時間に
桜の木の下をぷらぷら散歩する仲良し四人家族を
見るのも毎年楽しみです。 

Boon708
この日の撮影は母のノリがもう一つで、トドは懸命に
道化て気分を引き立てます。
 ・・・しかし、その甲斐なく「サクラと母2015」の写真は
 ボツとなり、後日撮り直しました。

道路の拡張工事があった時にはほんとに多くの方が、
見知らぬ方まで「このサクラ切らないよね」と心配して
くださいました。

桜は大きくなるにつれグイグイと背も高くなり、
ご近所の田んぼに少し西日が当たらなくなり、
吹き溜まる花吹雪にも気を使いました。
でも、その家のばぁちゃんの「ええよ」の一言に
甘えさせていただきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月29日(木)
母がいなくなって1日目。
母が植えた桜、過ごした家・・・
いなくなったのだけど、身近にいるような気もします。

アシカの四コマ劇場は「いない」。
0702残りの
3コマは
アシカの
ブログ
ほのぼの
 田舎暮らし

で、お楽しみ
ください。

いないけど
いるような
いないような

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アキラメない

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2017年6月28日(水)くもり、晴れ

母は脳梗塞で何度も入院しましたが、治療が
終わって回復期に入ると、まず第一にするのは
お医者さんや看護師さん、リハビリスタッフさんの
名前を覚えること。

Photo胸の名札を見たり、声をかけて
全員の名前を短時間で覚えます。
自分のリハビリにもなるし、「看護婦さん」
じゃなくて自分の名前で呼ばれると
うれしいですよね。
スタッフのみなさんの顔はいつも
特別のニコニコ顏でした。

でも、今回の入院では失語症だったので
ちょっと寂しかったかな。
0506haha
歩けて、お箸が使えるのは誇らしいようで
背筋もちゃんと伸びます。
入院中も小さな脳梗塞が起こり、箸がスプーンに代わり、
そしてとうとう自力では食べられなくなりました。
「そうか、これからは毎食サポートだ」と覚悟を決め、
通い始めて二週間でほぼ前と同じに箸が使えるように
なりました。看護師さんも「あの状態から元に戻るの」と
ビックリでした。

めんどーな時はパジャマにカーディガンはおって外出です。
0513gaisyut3

次第に車椅子を使うことが多くなって、
でも、機会を見つけては歩く練習に余念がありません。
トド弟に支えてもらってうれしそうでしょ。
0513gaisyut2

 どうやらヒトの「カラダ」や「脳」は一部が損傷しても、
 他の部分が代替してくれるようです。
 大したもんですね。
 母は「時間がかかってもアキラメない」ことを
 教えてくれたように思います。

4時間ほど自宅で過ごし、快適な室温と段差がない、
やさしいスタッフのいる施設に帰って行きます。
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出来るものなら自宅で過ごしたいだろうにと
思いながら「またね〜」とトドもアシカも手を
振り続けました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月28日(水) 13:30 葬儀
市内の葬儀場で執り行いました。
多くの人の中に混じって友人の顔も見えました。
寒いアウェーの中で暖かさに触れたような安堵を
得ました。直接に感謝を伝えたかったのですが、
喪主として動きが制限されていたのが残念でした。
みんなありがとう。
*通夜に駆けつけてくれた友人たちにも感謝。
 うれしかったです。

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遠くの友人が自宅に届けてくれた花。
ありがたし。

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玄関にダッシュ

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2017年6月27日(火)くもり

去年から母は介護施設で生活するようになり、
週一度の帰宅が最大の楽しみになりました。
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車が止まるのももどかしく玄関にダッシュします。

書くのも、描くのも好きでした。
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フルーツを食べ、お茶を飲み、話し、昼寝し、

庭に出て深呼吸し、植物を愛で、
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時に草をむしり、

何度も見た花にも喜び、手を伸ばし、
「あんたらまた咲いたんじゃな」と声をかけ、
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幸せな笑顔を見せました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6月27日(火) .通夜
夕方、父の時のように自宅で通夜を営みました。
奥の間と中の間の境のふすまをはずし、親戚や
たくさんのご近所の人たちが別れを惜しんで
くださいました。

最後まで残った方たちと明日の予定などを
話しながらビールがどんどん空けられます。
「わしらが来たんはここが70軒くらいの時じゃった」
「そん頃はまだ田んぼがぎょうさんあったがなぁ」
*現在は150世帯ほどです。
0627tuya
こうした昔ながらの賑わしい供養こそ母が望んでいた
ものでした。

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96才でした

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2017年6月26日(月)晴れ

深夜1:27 トド母が96才の生涯を閉じました。
Todohaha2015

呼吸が苦しそうだったけど
最後は自然な笑顔でした。
トド母を応援してくださった、たくさんのみなさん ありがとう。
(写真は2015年家の桜の下で)

アシカの四コマ劇場は「支度」。
0613残りの
3コマは
アシカの
ブログ
ほのぼの
 田舎暮らし

で、お楽しみ
ください。

何十年
前に
用意
したのか。

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止め焼香

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2013年3月3日(日)晴れ
大阪に行ってきました。写真は帰りの新大阪駅始発の「さくら」。
N700系8両編成。座席前の空間が広めです。
0303sakura
岡山までは40分。そのまま乗っていれば+3時間25分で鹿児島
中央駅です。

Haitodo_s大阪では叔父の葬儀に出席しました。
トドの家に変がある時は、真っ先に駆けつけてくれる
のはもちろん、時間があれば、ひょっこり現れ上着を
脱ぎながら「なんかやろうか」とあり合わせの材料でちゃちゃっと
柵を作ったり、農作業。晩メシの前に美味そうに盃を傾けます。
座に小さな子どもがいれば繊細な指先から小動物が次々と生まれ
出てきます。
父や叔父、他の兄弟たちが幼少の時に、わが家は一度破産して
いますから、みんな苦労しています。中でもこの叔父は戦後
ソ連での長い抑留生活を経て帰国しました。
そんな、苦労の片鱗も見せず人生を達観したかのような笑顔、
細身でおしゃれな叔父でした。

葬儀を前にそんな想いにふけっていたら、喪主である叔母に
呼ばれ「止め焼香お願いしたいんやけど」。
それ、なんでしょう?
「最後のシメに焼香してくれたらええねん」
「名前呼ばはるから」
はい?? 焼香くらいだったらしますけど。

やがて、三人の導師さまの読経が始まり、喪主から順に呼ばれ
親族が次々と焼香に立つ。
最後に名を呼ばれたので「止め焼香」の正確な意味は分からぬが
叔父に感謝し、残された家族を思いながらゆっくりと焼香を
すませました。
*後で調べたら「止め焼香」とは以下の意味合いがあるようです。
 主に関西地区、大阪地方でみられる焼香の形式で、焼香の順番
 で揉めると、その後の付き合いや、商売上の取引に影響が出る
 ことがあります。
 無用な争いを避けるために、血縁の濃い人などを立て、血縁の
 濃い年配者の人もこれだけ待って最後に焼香をするので、焼香
 順位は不同でお願いしますという意。
 ・・・年配者ってトコは気になりますが、なるほど。

ともあれ叔父は
「やらねばならぬコトは腰軽く始め、始めたら楽しむこと」を 
 体現してみせてくれました。(トドは実践できてないけど)
ありがとう。ダンディだった叔父さん。

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峠を越えて

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2013年2月22日(金)晴れ
Haitodo
「トド&アシカ新聞」をお送りすると必ず返事を
くださる方がいる。
返事には新聞の感想や自分たちのふだんの生活の
ことが書かれている。学生時代の友人の母上なんですが、今じゃ
友人とはロクに話すこともないのに。
その友人の母上からご主人が亡くなられたとの知らせが届いた。

まだオートバイも入手できなかった学生の頃、東海・山陽道をヒッチ
ハイクで、何回か帰省したことがある。Tシャツ、Gパンに下駄。
眠るのは移動している車の助手席か公園のベンチ。旅程の半分くらい
のところにある友人の実家に寄った。
友人は「美大なんかに行く息子は勘当だ」と言われ、本当に2年ほど
勘当されていたらしい。その親父さんもにこやかに迎えてくれた。

親父さんは関東の寒村の生まれ。村はずれの峠を越え、出て行った
飛び抜けた秀才が二人いて、最初の若者の名前はナカソネで二人目は
自分だ。という伝説を持つ・・・と友人から聞いた。
某巨大企業の重役なんだが、ヒッチハイクの旅を面白そうに
喜んでくれた。「そうだ、酒を飲もう」と書斎に案内され、生まれて
初めて書斎なるものを見た。重厚感ある机に皮のソファー。
コニャックの入ったグラスを手にふり返るとクロフツがあった。
しかも全巻揃っている。なるほど、ブランデーを片手にミステリを
読むのがお好きらしい。
「クロフツの『樽』つまんなくないですか」
「もっと面白いミステリいっぱいあるのに、なんでクロフツ」
と失礼な言葉にも、その先に何を言うのかと面白そうに目を細める。
くどくどとミステリやSFに話しを広げながら
『ボクもゼッタイこんな書斎やミステリやブランデーに埋もれるのだ』
『ゼッタイこんな大人になるのだ』と決心した。
実際にはそんな生活とは全く縁がなかったし、ブランデーも似合わん
おっさんになってしまったけど・・・と、いつだったか友人の母上へ
の手紙に書いたら、返事に
「おやおや、そんな時代があったような気もしますが、宅の主人も
 今や、焼酎のお湯割りにせいぜい週刊誌を読むくらいですよ」と
 あった。

たった一度お会いしただけだけど、折りにふれ思いだす印象的な
「大人の男」でした。
心より、ご冥福を祈ります。ありがとうございました。

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ま・た・ね

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2012年9月22日(土)
さて、イラストによるビリーくんの回顧展も今回でおしまいです。
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アシカはビリーくんのたくさんのイラストの他にも、紙粘土の
「招きビリーくん」やカリグラフィーの素材にも登場させました。
その製作はとっても楽しい時間だったようで、終始ニコニコ微笑み
ながら作っていたのを思いだします。
N_billyAkeome
みかんの皮投げをトドに教わりに来たこともありました。

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やっぱ、のんビリーがいい

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2012年9月21日(金)
やっぱ、ビリーくんはポケっとして、のんビリーの方がらしいですね。
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スコティッシュなのにカツブシ大好きでしたし、自分の皿にシマが
顔を突っ込んだら、困ったような顔して先に食べさせてました。

PhotoBondanse


O0300022510913228187

太っとく逞しい足に
立派な肉球が
気持ち良かった。

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