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ロイズチョコ

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2010年2月5日(金)晴れ、今日も風が冷べたい
スキーシーズンになるとチョコレートを食べたくなる。
昔から、甘いもん好きではないのですが、スキーの荷物を用意したら
決まって最後にアーモンドチョコをポケットに入れておく。
*フルーティなナイアガラ種のワインと紙コップも用意しておいて
 ゲレンデの雪の中に埋めて置くのも楽しいです。
 でも、埋めた場所を忘れるととても悲しいです!
 はずしたスキー板でゲレンデを掘り起こしている集団を見たらその中
 にはきっとトドがいます。
0205chyocoおっと、そんな話じゃ
なかった。
ロイズのチョコです。
ポテトチップチョコの
「フロマージュブラン」。
これ、美味しっす!

バレンタインにチョコ
もらっても

「食べないんだよね」
ってあなた、ロイズは
イケます。あっという間に完食です。
ポテトチップにチョコを合わせるってよく考えたなと思ってましたが
今年はそれをホワイトチョコにしてしかもチーズ味! 美味しいっす。

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午後、自然農法の実践者であり、古代吉備エリア(岡山、東広島、香川)
のまとめ役をしているナンバ氏の訪問を受ける。
従来、寒冷地の方が病害虫がすくなく自然農法はやりやすいと思って
いたが、植物の適応能力はもっと高いはずだと指摘される。
なるほど、そうかも知れない。

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Comments

トドさん、お久しぶり。
後半で古代吉備王国の記述があったので調べたら、僕の育った玉野市宇野の児島も古代吉備王国の領地だったようです。僕は宇野はてっきり備前地域だと思い育ちましたが・・。苦笑
ところで岡山県下にはどの辺に、大きな古墳が集まってるのでしょうか?

實は宇野で戦後に発見され話題になった、大きな中山古墳が在りますが、
幹線道路計画のためにその古墳は30年前に1/3位削られてました。
度々放課後に登ったことが有りますが、大きな古墳だったと思います。
地球の海面が低い頃に造られたと思うくらいに、海に近い所にその古墳は在ります。
宇野小学校の裏山がその古墳ですが呼び名は、当時は中山古墳でしたが現在は判りません。
随分前にウェブサイトで古墳訪問のブログで、古墳頂上の写真は拝見しましたから資料は現存している筈です。

調べると児島は直島や遠く小豆島も同じ郡だった歴史も有り、宇野の親友も小豆島から来た家系でしたね。
宇野が吉備国だったのに驚きコメントしました。
チョコもですが吉備団子も食べてます。笑


Posted by: 崖 | February 06, 2010 at 10:58 PM

こんにちは(^^)/ 崖さん
吉備国は岡山県全域と広島県東部、香川県島嶼部および兵庫県の
加古川までとされています。かなりデカイですね。
製鉄の技術を持ちあまりに強大だったため7世紀に備前、備中、
備後三国に分けられ、さらに8世紀に美作も分割されました。
総社の吉備津神社が一宮だったのですが、分割された時に
それぞれの地に新たな一宮ができました。
備前・・吉備津彦神社
備中・・吉備津神社
この二つは隣り合わせで、なんでこんな近くに同じような
名前の神社があるのか不思議でしたが分割されたためだった
ワケですね。

古墳は県下のいたるところにありますが、大きなモノは
やはり吉備王国の中心である総社にあります。
造山古墳・・全国四位 全長350m
作山古墳・・全国九位 全長286m
四位、九位ですが作られた当時は日本で一番大きかったと
考えられているそうです。
ちなみに日本最大とされている仁徳陵の全長は486mです。
宇野の古墳の件は知りませんでした。
グーグルで確認しようと思ったのですが航空写真では
わかりませんでした。宇野八幡宮があるあたりでしょうか。

実は半田山植物園のすぐ近くの三野公園が古墳ではないか
と言う方が居て行ってみました。
航空写真でも、現地にたってみても明らかに形状は
前方後円墳です。副葬品や壕が無いことから形がたまたま
似ているダケと言う説もあるようで素人には判断出来ません。
外国人(朝鮮、中国人)に見せ、偉容を誇るためのモニュメント
としては泉州の仁徳陵と同じように立地条件を満たしております。
海を越え、内海を渡り川を遡上するとドンと巨大な構造物を
見せる。効果的だったろうと思えます。
でもこれがホントに古墳だとしたら全長600mはあり、
ヤマトのそれを遥かにしのぎます。
古墳だと認めたくない人が多数でしょうね。
そして、ここよりも東にさらに大きな古墳があり、調査中と言う
市井の研究家もおられます。
それが正しいとすると吉備王国の中心は現総社市あたりと
思っていましたが、もう少し東にズレるのかも知れません。

さらに古い時代のストンサークルやドルメンも山や島に
多数あります。

一度、訪ねたいと思いつつ行けないでおります。

Posted by: トド | February 07, 2010 at 12:28 AM

トドさん、こんばんは。(^^)/

宇野の中山古墳は宇野八幡宮の約300M真南の山ですよ。
宇野八幡宮も100M角以上の敷地で上の境内は高さが20M位有ります。
そこで6才の時に初めて相撲大会に出て、五人抜きをしたら横綱になり、料理器具や沢山の雑貨の賞品を貰いました。笑、
多分、他の子供より栄養状態が良かったから勝てたのかも、実際に自宅の裏庭で山羊とニワトリ、ウサギも飼っていましたからね。

多分中山古墳の大きさは仁徳稜並かも。笑
かなりの大きさで山でした。
宇野の町は次々と海を埋め立てたり塩田が盛んだった歴史が有り、その埋め立ての土を中山古墳から拝借したようです。
つまり文化財古墳に指定されたら困り、代々の在の町の人々は口をつぐんで、掘り易い古墳の土を使ったようです。
実際、中山古墳の麓を削り宇野小学校は有り、その西側の校舎の裏の削った所に、古墳の埋葬口が現れていました。
僕らはその開口部分を防空濠だと思っていたら、小学三年の頃だったか調査したら埋葬品が出て、これは古墳だったと発見されたいきさつでした。笑
明らかに発見された開口部分近くの地層は粘土が露出し、それで石室や通路を防水していました。
僕らはその粘土をスコップで掘り出し、その粘土を五年生の図工時間の陶芸に使いましたね。笑

八幡宮辺りの歴史のある宇野の地域的環境は川も有り、古墳の東と西は穏やかな港です。
その古墳が発見され五年生の頃に、当時の町には市営競輪場で予算が有り古墳として整備されてます。
ところが今は玉野市の古墳の表記が有りませんね?
古墳の東側は明らかに向かいの天狗山から確認したら大きく削られていましたね。笑

古墳時代の児島の島自体が裕福だった筈です。
先ず北側は岡山の三本の一級河川の河口が有り、川から来た土砂で僅か深さ二、三Mの遠浅や干潟で、魚介類の漁獲高が夥しい量だったと考えられます。
児島の周りはプランクトンの多い海で絶好の漁場だった筈です。
もちろん古墳時代が終わった辺りから、児島の北側は少しづつ埋め立てが進み始めたようで現在に到っています。

その中山古墳には今は廃線となった、市電のトンネルも掘られていて、現在サイクリング道路となっています。
どう考えても400M位はある前方後円墳ですが・・。
親しい女友達(同級生)の弟さんが八幡宮の割合い近くに居て、市役所に未だ勤務してる筈ですね。
その藤原家は代々古い宇野の地域一帯の巨大な地主だそうで、詳しいでしょうから同級生に尋ねてみます。
彼女から聞いた話しですが、その一族の屋号は古くから「調所」だった気がします。
宇野からの長い友達にも、高梁や総社からの家系も何人かいます。


Posted by: 崖 | February 09, 2010 at 01:48 AM

崖ポニョさん こんばんは(^^)/
今日はアシカを空港まで送って、総社方向に下りました。
吉備の中山(吉備津神社あたり)を走りながら、改めて
吉備王国の大きさに思いを馳せました。
宇野の中山古墳も、辺境の島国が文明国の中国・朝鮮の使者を
迎え誇るにはロケーションとして最適な場所のようですね。

かつて直島に親戚が有ったため玉野は良く通ったのですが、
山育ちとしては玉野がかつて島(神話にも出てきますが)
だったとはなかなか思えません。知識としては知っていても。
それにしても古墳の破壊はもったいないことをしました。

Posted by: トド | February 09, 2010 at 09:01 PM

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